インタビュー
INTERVIEW
自分が映画祭の責任者になるなんて
「自分が映画祭の責任者になるなんて、思ってもみなかったんです」
そう語るのは、カイクラフトの映画祭事業の責任者・森渉吾。はじめは、ただ純粋に映画が好きという気持ちから、映画祭のバイトスタッフとして何気なく関わり始めただけだった。ところが、気づけば現場に深く入り込み、カイクラフトに入社。まだ肩に力が入ってしまうときもある。でも、誰かの感情が動く瞬間に立ち会える、その手ごたえに惹かれて現場に立ち続けている。
これは、“次の世代”として映画祭事業のバトンを受け取ろうとしている、若きリーダーの等身大の物語だ。
映画祭制作事業について
2024年に正式発足したカイクラフトの映画祭制作事業は、日本最大級の子どもからティーンズに向けた国際映画祭「キネコ国際映画祭」で培った30年の運営ノウハウを活かし、地域に根ざした映画文化の共創を目指している。作品選定・広報・スポンサー獲得などの知見をもとに全国の自治体と連携し、地域映画祭の立ち上げを支援。また、世界の良質な作品をライセンス契約し、児童館や学校、地域イベントなどで上映できる貸出事業も展開。
森渉吾もり しょうご
映像クリエイターとしての経験を経て、カイクラフトへ入社。キネコ国際映画祭への関わりをきっかけに、映画祭事業の責任者に抜擢される。現在は「まちを映画館に」をコンセプトに全国の自治体へのイベント実施・運営の提案を進めている。
映画との出会いと、”現実的なキャリア”のはじまり
森の原点は、おばあちゃんが映画好きだったこと。小学生の頃、学校をズル休みして家で「ホーム・アローン」を観た記憶が強く残っている。
「あと、高校のときに付き合ってた彼女が映画好きで、負けてられない!と思ってから、たくさん観るようになったんです(笑)」
学生時代には、16mmフィルムでの映画制作や、国際的な映像コンペティションでの受賞を経験。自然と将来は映画監督になる道も視野に入れていた。だが一方で、昔からの「地に足をつけなさい」という母の教えが気になっていた。
現実的な職業の方がいい、という思いもあり、森は手に職をつける道として3DCGを専門に学び、テレビ業界のCG制作会社に就職、アニメーションやデザイン制作など、テレビ業界における多様な映像表現を担当した。クリエイターとしての仕事もまた、森にとって楽しくて好きなことだった一方、迷いもあった。
「すごく不満があったわけじゃないです。でも、毎日がルーティンで、目新しさや刺激が少なかったんですよね」
友人から誘われて入った2社目は事業の立ち上げから携わったが、会社の業績がふるわず、1年で事業撤退。自分から退職を申し出た。
その中で気づいたのは、「いいものをつくるだけじゃなく、どう売るか・どう届けるかが大事」ということ。クリエイティブという言葉に対する解像度が少しずつ変わっていった。
社長のひと言で突然はじまった「責任者」人生
2社目の退職後、ずっと興味のあったキネコ国際映画祭のバイトスタッフに応募した。それがきっかけとなり、カイクラフトに入社。間もなく、森に転機が訪れる。
森はあくまで手伝うメンバーとしてキネコ国際映画祭に関わっていた。入社後も前職のクリエイター経験を活かし、PR制作を中心したサポートをカイクラフトの他事業も含めて行っていた。
しかしある日、社長の田平から突然のひと言が飛び出す。
「社長から“今日からマネージャーね”って言われたんですよ。いや、びっくりしましたよ(笑)」
2024年9月のことだった。前任の退職により、事業責任者として森が大抜擢されたのだ。映画祭本番までは、わずか2ヶ月。もちろん社内のサポートも沢山あったものの、実質は“手探りのマネージャー生活”の始まりだった。
「バイト30人の管理とか、現場の構造とかオペレーションとか、正直わからないことだらけでした」
それでも、現場を回す中で少しずつ見えてくるものがあった。
「やればやるほど、“あ、任されたからにはちゃんとやらなきゃ”って気持ちが育ってきたんです。まだまだ発展途上なんですけど、じわじわ責任感が染み込んでいく感じというか」
1年目の映画祭の本番は、とにかく来るものをさばくので精一杯な期間を過ごした。だが、2年目となる今年は少し余裕がでてきており、森の心境にも変化がある。
「ようやく、楽しさを感じる余裕が出てきた気がします。声優さんの吹き替えがうまくいったとか、音響がいい感じに完成してきているとか、パーツパーツの達成感を感じています。それがいずれ、イベント全体の達成感につながっていく気がしてるんです。」
全体をどう設計するかという視点に、クリエイティブの可能性を感じるようになった森は、着実に責任者として成長の階段を上っている。
職人性×ディレクション力、両輪の強み
森の強みは、職人としての集中力と、ディレクターとしての俯瞰力。そのどちらにも手を抜かないバランス感覚だ。
映像をつくっている時がいちばん楽しいと感じている一方、周囲の友人からは、ディレクター向きと評価されることも多かったという。
いま森は、その両方を行き来しながら、「良いものができるまで徹底的に考える職人性」と「事業的な視点で資源配分や設計を整えるディレクション力」の両立に挑んでいる。
「この2年で、社長が実現したい映画祭を支える側から、自分がこの事業を成り立たせていくという覚悟に変わってきた実感があります」
今後は、人をまとめる力、チームを動かす力も磨いていきたいという森。その視座の高さが次世代を担う事業責任者としての成長を後押ししている。
地域と向き合い、続いていく場をつくる
森が取り組んでいるのは、キネコ国際映画祭だけではない。「まちを映画館に」というコンセプトの元、全国の自治体と連携した地域映画祭の立ち上げ支援だ。
関係する自治体には「人口減少によって失われつつある地域の活気を取り戻したい」「単発ではなく、長く地域に根付くイベントを育てたい」という切実な声がある。
マルシェを開催する。地元のカフェを上映会場にする。大型スクリーンで野外上映を届ける。アニメキャラクターとコラボする。映画という軸を中心に、地域の人々が関わりながら盛り上がっていく“まちぐるみの仕掛け”を仕込んでいっている最中だ。
「イベントは一過性で終わるのではなく、毎年続くことにこそ意味があるんです。自治体の担当者様が変わっても、映画祭の価値や運営方法がちゃんと受け継がれていく、そんな文化としての基盤をつくっていけたらいいなと思っています」
営業力とクリエイティブ力の”両効きチーム”を育てる
森が社内で注力しているのは、社長のノウハウを受け継ぎながらも自走できるチームを育てること。
「営業力と、PRをはじめとしたクリエイティブ力の両方を持ってるところって、なかなかないと思うんですよ。新しいメンバーも増えて、理想のチーム体制が育ちつつあります。」
あえて名付けるなら、“両効きチーム”。交渉力と表現力を兼ね備えたこのチームこそ、これからの映画祭事業を支える柱になるはずだ。
手伝う側から、つくる側へ
森にとってこの映画祭は、もともと「手伝う場所」だった。
でも今は、全体をどう設計するかを考える立場になっている。責任者という役職だけでなく、その仕事に込める想いや視点が、少しずつ“つくる側”としての自覚に変わってきた。
「僕は、田平公認の弟子です。ゆくゆくは、責任者として田平の力を借りなくても映画祭運営のリーダーシップをとれるようになっていけたらと思っています。皆さんの信頼を裏切らない映画祭を作りますので、ぜひお声がけください」
文化という言葉を担うには、まだ早いのかもしれない。けれど森は、その正体を探りながら、今日も手を動かし、誰かの心に届く場を育てようとしている。その姿そのものが、きっと「文化が宿る瞬間」なのだ。迷いながらも進むその背中に、カイクラフトらしい手づくりの強さがにじんでいる。