インタビュー

INTERVIEW

「冒険する人生」を、お客様にも。

ヨット事業 トップ責任者

日本人の冒険心を育てる
アメリカ出身リーダーの物語

「大海原に浮かぶヨットの上で、お客さんの人生について語らいたいです」 そう語るのは、カイクラフトの新規事業「LINJETT Yachts Project」の事業責任者であり、アメリカ・アイオワ州出身のルーカス・ズパンシック。カイクラフト30周年の節目にふさわしい挑戦を担うルーカスの半生には、「好奇心」と「対話」、そして「冒険心」が一貫して流れている。

LINJETT Yachts Projectについて

カイクラフトは創業30周年を迎えた2025年、新たな挑戦として「LINJETT Yachts Project」を始動。スウェーデンの老舗ヨットブランド「LINJETT」と世界で唯一の専属販売パートナー契約を締結し、日本市場での展開を進めている。職人が手作りするLINJETTのヨットは、一人でも操縦できる自由さと洗練されたデザインが特長。


Lucas Zupancic

「LINJETT Yachts Project」の事業責任者を務める。アメリカ・アイオワ州出身。本国で日本語と文化を学んだ後、富山県での3年間の生活を経て、カイクラフトへ入社。英語と日本語を自在に操り、スウェーデンと日本をつなぐ文化の橋渡し役として活躍している。

 

のどかな風景と、
好奇心が育ったアイオワの幼少期

ルーカスが育ったのは、アメリカ中西部に位置するアイオワ州。広大な農園が地平線まで続く、のどかな地域だ。父は農業機械の販売、母はスクールナースという家庭で育ち、周囲からは「なんでも聞きたがる子」と言われていた。

「お父さんの仕事って何?なんでそれしてるの?とか、先生にも近所のおじさんにも、とにかく『なんで?』って質問ばかりしてましたね(笑)」

加えて、彼の原体験にあるのがヨットだ。友人の家のヨットやスピードボートに乗せてもらい、ミシシッピ川で水上を走る爽快感を体験してきた。


ミシシッピ川で水上を走る10代の頃のルーカス。

日本語を学ぶ、たった1%の決断

ルーカスが初めて日本と出会ったのは高校時代。必修の言語学の授業で、選択肢はスペイン語、フランス語、そして日本語。99%の学生がスペイン語かフランス語を選ぶ中、ルーカスは日本語を選んだ。

「300年のアメリカの歴史と比べて、日本は何千年も続く歴史がある。それがすごく面白くて、もっと知りたいと思ったんです」

大学でも日本語と文化を学び、卒業後は「日本に住んでみたい」と強く思うように。日本語で日本人と直接話したいという動機もあった。選んだ地は富山県。故郷のアイオワに似た雰囲気が心地よかったという。

富山の居酒屋に週2で通い、日本語を鍛えた

ルーカスの冒険心と行動力は、時にユニークな方法で花開く。

日本に滞在するにはビザが必要だったため、最初の2年間はALT(英語指導助手)、3年目は射水市役所で国際交流の仕事に就いた。しかし、語学の壁は依然として厚かった。スピーキングもリスニングも不十分だと感じたルーカスが日本語習得の場として選んだのは、なんと富山の居酒屋だった。

「週末になると、富山の居酒屋に通って、酔っ払ったおじさんたちと話をしました(笑)。仕事の愚痴とか、奥さんがどうとか、昔話、くだらない笑い話も含めて、どれも生きた日本語。教科書には載っていない表現ばかりで、すごく鍛えられました」

知らない土地で知らない文化に飛び込み、人との距離を縮める──この経験が、後のLINJETT事業で日本とスウェーデン、さらにはアジアの文化の橋渡しを担う力につながっていく。

「東京に住みたい。ヨットに関わりたい。」

3年間の富山生活を経て、ルーカスは次なる挑戦として、「東京で暮らしたい。そして、アドベンチャーな仕事に携わりたい」という思いを抱くようになった。

仕事を探していた時期、偶然友人の結婚式でドバイのヨットパーティーに参加する機会があった。

「久しぶりにヨットに乗ったら、アイオワで友達と楽しんでいたヨットの感覚がよみがえってきました」

その体験も重なり、ヨット関連の仕事を本格的に探すように。そして出会ったのがカイクラフトだった。

LINJETTとカイクラフトの出会い
──世界にひとつの冒険のパートナー

当時、カイクラフトでは新たなヨット事業の立ち上げが進んでいた。社長・たひらが「ベストなヨット」を探す中で出会ったのが、スウェーデンの老舗ブランド「LINJETT」。

家族経営で、お客様も「LINJETTファミリー」として迎える文化。そして一人でも操縦可能な機能性が大きな魅力だった。

「ふと今日は海に出ようと思ったときに、1人で気軽に航海できる。そんな自由さがLINJETTのヨットにはある」とたひらは語る。

そんなLINJETTへの問い合わせメールは、なんとのシンプルでフランクな一文だった。

“Hi, I’m Mitsuo. Can I come to Sweden?”

「これ、日本語で言うと『こんにちは、たひらです。スウェーデン行ってもいい?』みたいな感じですよ(笑)その後、社長は本当にスウェーデンに行きました。」

両者の出会いのエピソードにルーカスも思わず笑ったという。

ヨーロッパやアメリカでは自社販売を行ってきたLINJETTが、当初は想定していなかったアジア市場への進出を決めたのは、カイクラフトの提案がきっかけだった。30年続くキネコ国際映画祭を主催するなどPRに強みを持っていた点、そして何より「日本人らしくない」たひら社長のフランクな姿勢に好感を抱いて頂けた。文化の違いへの不安を越え、やがてLINJETTとカイクラフトは世界で唯一の専属販売パートナー契約を結ぶに至った。


現地のクラフトマンシップが光る、LINJETTのホームページ

入社1週間目の大活躍

2025年3月、ルーカスはカイクラフトに入社。そのわずか1週間後、LINJETTのダニエル社長とマティー氏が来日した。

「みんな、どう話しかければいい?って不安でいっぱいそうでした(笑)。失礼な英語になりかけてて、面白かったですね。でもそれだけ真剣だった証拠です」

そんな中、ルーカスは英語と日本語を自在に行き来し、両者の橋渡し役を果たした。LINJETTの家族的な価値観とカイクラフト側の企業文化を的確に汲み取りながら、場の空気を和ませ、円滑なコミュニケーションを導いた。

「ヨットを売るにはまず友達になること」とマティー氏から聞き、「それ、僕にぴったりだな」と直感したという。

ルーカスにとって、人の話を聞き、自然と関係性を深めていくというスタイルは生まれ持った強み。そんなルーカスの姿勢が、今後、日本とスウェーデン、そしてアジアの市場をつなぐ場面でも生かされていきそうだ。

LINJETTチーム来日時の一幕。後列中央がルーカス、前列左からDaniel氏、Matti氏、たひら。

モーターショーからアジアの海へ
──ルーカスの未来航路

ルーカスの目下の目標は2026年10月「横浜フローティングヨットショー」でのLINJETT初展示だ。現在は輸入法規制や販売基盤づくり、知識習得に励んでいる。

47都道府県中10県をすでに旅したルーカスは、船舶免許の取得にも挑戦中だ。免許が取れた暁には、LINJETTの船で東京から四国へ、自ら操縦して行ってみたいという夢がある。まだ行ったことのない四国へ、ヨットでたどり着く。まさに新しいアドベンチャーだ。

さらに、韓国や台湾で開催されるヨットショーにも、自ら船を操縦して海を渡って出展するという構想もある。輸送費を抑えるためという理由以上に、「自分で行く方が面白いから」と笑うルーカス。その前向きな挑戦が、周囲にも新たな風をもたらしている。

ヨットの操縦をDaniel氏からレクチャーしてもらっている。

ヨットで、お客様の人生に冒険を届ける

「まずはLINJETTの船の良さを知ってほしいです」。 スウェーデン人の職人たちが丁寧に手作りする唯一無二のヨットは、まるで作品のような存在。一人でも操縦できる機能性は、自由と解放を愛する人々にとって理想的な相棒だ。

しかしルーカスが本当に届けたいのは、その先にある体験だ。

「LINJETTに乗って、冒険に出てほしい。僕がアメリカから日本に来て学んだように、日本のみんなにも外の世界とつながるワクワクを経験してほしいんです」

そしてこう続ける。

「お客さんと一緒にセイリングして、その人の人生の話を聞きたい。海の上は誰もがフリーに話せる場所。360度青い海に囲まれたヨットの上で人生を語り合えたら最高です」

アメリカ・アイオワから日本へ、そして今はアジアの海へと挑戦を続けるルーカス。その人生そのものが冒険の連続だ。

だからこそ、「お客さんにも、人生の冒険のきっかけを届けたい」。

ヨットを買うことは、単なる所有ではなく、新たな人生の扉を開くことかもしれない。

次は、あなたが海へ出る番だ。